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書籍・雑誌

2013年3月25日 (月)

『図像観光  近代西洋版画を読む』 荒俣 宏 

Cimg1750_405x550_4   もうこれ以上本は買ってはダメ。増やさないでといつも言われている気がするけれど、つい興味がつのると買ってしまう。いつでもBOOK OFFに売ればいいと思ったりして。
そのBOOK OFFに寄ってみたら、この本を見つけてしまって、手に入れてしまった。
版画を初めてもう13年経って、制作するのはおもしろいし、自分の年齢のリスクとか、ハンデを考えて自分流のやり方で楽しみ始めているけれど、そもそもしっかり西洋版画の知識を勉強してはいない。この本は西洋版画を楽しむための知的遊覧飛行案内と帯に書いてあるように、西洋版画の長い歴史を豊富な図柄を読み取りながら、博物学の大家の荒俣宏氏が道案内してくれるという、魅力あふれる本のようだ。
本書は1985年4月から『朝日ジャーナル」に連載された同名のコラムを加筆増補したもので、1986年に発行(朝日新聞社)されたものである。その頃はまだ版画入門はしていなくて、本業のインテリアコーディネーターをしながら忙しく働いていたころであった。

Cimg1748_464x550 しかし私の本棚にはもう1冊荒俣宏の著作がある。
『花空庭園』平凡社1992である。元々この作者の図象学に興味があって手に入れたのだろう。
偶々当時教えていた短大で「はなについて」という大学の総合講座で集中講義のためのにわか勉強をしたときに、必要だったのだと記憶している。
BOOK OFFで出会ったのは全く偶然ではあるけれど、きっと本が呼んだのだろう。
いい本に出会えて嬉しい。
こうして蔵書はいつのまにか増えていき、悩みの種が増えていく。
どちらも20世紀末に発行されている。お金をかけて丁寧に作られている。装丁も立派だし。
時間を作って、読み続けようと思うこの頃。

2013年3月10日 (日)

《ロートレックの料理法》

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以前私たち家族が10年住み、今は娘夫婦が住んでいるマンションのロビーの書棚でこの本を見つけた。
『ロートレックの料理法』あのフランスの画家のロートレック(1864~1901)
平成元年、美術公論社の発行である。この時期は贅沢な趣味性の強い中々いい本が世に出た時期だった。
本のあとがきによると、ロートレックは稀にみる健啖家で料理通であったこと、ロートレックが書き残した記述を親友のジョワイヤンが整理集成して1930年に”La Cuisine de Monsieur
Momo"の署名で発行したものらしい。ちなみにMomoはロートレックのペンネーム。
その原書をもとに独自なレイアウトをし”目で見る”料理本として出版されたものであった。

この本を開いた途端、ロートレックの魅力的なスケッチ、版画が毎ページにあり、ロートレックの生きた時代の料理メニューであふれている。何とも食欲を誘う本なのである。
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このマンションには住人からの寄付で集まった本の書棚があって、住人は好きなものを持っていってもいい事になっている。すべて住人の自主管理。返さなくてもいいですよと書いてある。こんな善意の方法をいいことに、他所から入ってきて、本を持ち出し売りさばく輩も出てきて、管理する側はたまらない。先日もそんな苦情がマンション情報に載っていた。

娘から2日間リニュ-アル工事の番人を頼まれて、本を読むしかない時間を過ごすには、ぴったりの本。
すっかりはまって、ロートレックの時代にタイムスリップしたような気分になった。
たとえば 野ウサギ白ワイン煮込み、ツグミ アルデンヌ風、黒ガモの煮込み、シャコ キャベツ添え、修道女のおなら、ムール貝船夫風・・・・・・どれか作ってみたくなった。

そんなわけで次の日いいムール貝をスーパーで見つけてさっそく実験してみた。
まさに実験。でもうまくいった気がする。どこのレストランで食べたものより美味に出来た。

Cimg1577_450x338  
ムール貝 船夫風 Moules marinieres

カレー産または地中海産のかなりずんぐりしたムール貝を、数個用意する。
何回もすすぎながら、たんねんに洗い、磨き、汚れを取る。かなり大きな鍛鉄製のシチュー鍋にムール貝を入れ、1キログラムにつき、月桂樹の葉1枚、薄切りにした玉ねぎ大一個分を加え、ふたをせずに炒め貝の口を開かせる。
汁が澄んでいれば半分をとっておく。(濁っていれば捨てる)。次に、ムール貝1キロにつきやや辛口の白ワイン2/3カップとバター大さじ2杯を加えぽんぽん燃える薪で炒める。最後に少量のにんにくを混ぜたパセリを多少加える。
食卓に出す際に、挽きたての白コショウを振る。

ちなみに私の使ったムール貝は三陸南部産。もちろん薪ではなくガス使用でうまくできた。

2011年7月 8日 (金)

『死ぬまでに見たい世界の名建築1001』

Photo                              you must see before you die 発行所 株式会社エクスナレッジ

図書館でこの本を見つけた。一度見ておきたいと思っていた本。どんな建築が網羅されて

いるのか、興味があった。

編者はイギリスの編集者。どちらかというとイギリスの建築が多いのは当然であるが、

1001のうち日本に存在しているものが30例ぐらい。

建築家は丹下建三、安藤忠雄、黒川紀章、伊東豊男、と連なっている。古いものでは

伊勢神宮、金閣寺。

丹下のものは広島平和記念資料館、国立代々木競技場、フジテレビ本社ビル等。

東京国際フォーラム、プラダブティック青山、シャネル銀座、横浜港大桟橋国際客船ターミ

ナル、関西国際空港旅客ターミナルビル等は外国人建築家の作品だったりする。

さすがに、これらはみんな行った事がある。日本もいい建築で溢れている。

この本に選ばれている建築は、時代はBCから2006までの世界中の現存している建築。

写真がないものもあるので、記憶をたどって行った事あるかどうか思い出してみたりして、

この中でどれだけ見たかを数えてみたら、140件位あった。

1980から2000の間世界の建築を見るために、随分旅をした。建築学会や建築家協会

の主催をするツアーに参加して見に行ったことが貴重な経験となっている。

中国大陸や南米大陸、エジプト、アフリカにはまだ足を踏み入れていないから、

死ぬまでにはとっても見に行かれないと思うけれど、この本を見ながら旅をしている気分

をたっぷり味わえて、本当は手元に置いておきたい本だけれど、1000ページもあるか

ら、場所塞ぎとなる。やはり図書館から度々借りて見る事にしよう。

今まで見た中でどれが一番印象に残っているかと聞かれれば、パリから汽車に乗って友

人と二人で行った、コルビジェのロンシャンの礼拝堂かなぁ。

この本の表紙になっているフランク・、ロイド・ライトの落水荘も感激したけれど。

2011年5月 8日 (日)

《ぼくはこうやって詩を書いてきた》谷川俊太郎

谷 川俊太郎の1942~2009までの詩作を友人の編集者山田馨と語り合いながら、人生を振り返っていくのを、一冊の本に仕上げていったものなのですが、久しぶりに、素直に興味を膨らましながら、読み進めています。(ナナログ社2010年発行)

谷川俊太郎の存在は、興味本位に佐野洋子の2番目の結婚相手だったということで、いつ頃からいつ頃まで一緒だったのだろうかと、彼女のエッセイや小説にモデルっぽく存在していたのを、明らかにしたいという、野次馬的好奇心から、近づいていったのが、本音です。

谷川俊太郎1931生まれですから、私とほぼ共通した年月、社会現象を生きているわけなので、時代背景がまず分りやすい。こどもの絵本では当時の1流デザイナーとの共著がいくつもあり、捨てずに取ってあったものを新鮮な眼で見たりしてます。

Photo_2

             かがくのとも(まるをかいてみよう)え:粟津 潔 1971

佐野洋子の本を読んだのは『役立たない日々』が最初でした。同い年の友人から、凄く面白いから是非読んで!とすすめられたからです。たまたま佐野洋子とは、ほぼ同い年。それからいくつか読むうちに、谷川俊太郎がでてきて、共著もあるのが分ったりして。

『はだか』とか『女に』とか、詩が谷川、絵が佐野の詩集を手に入れて、読んだり、観たり、楽しかった。この頃のふたりのいい時代が伝わってくる詩集だったから。

どんなに佐野洋子の影響を受け、詩作も変わったのかと、素直に回想している時期もあったりして、こんなに素直にわが身を振り返ることは、普通はないのに、対談相手との相性とか性格が良かったのか、読み易く、いい本になっているというのが偽らざる印象です。730ページもある分厚い本なのに。

山田馨による年譜1931~2010のおかげで大変参考になりました。

この本の最後に紹介している”生まれたよ ぼく”を写しておきます。

生まれたよ ぼく

やっとここにやってきた

まだ眼は開いてないけど

まだ耳も聞こえないけど

ぼくは知ってる

ここがどんなにすばらしいとことか

だから邪魔しないでください

ぼくが笑うのを、ぼくが泣くのを

ぼくが誰かを好きになるのを

ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが

ここから出て行くときのために

いまからぼくは遺言する

山はいつまでも高くそびえていてほしい

海はいつまでも深くたたえていてほしい

空はいつまでも青く澄んでいてほしい

そして人はここにやってきた日のことを忘れずにいてほしい

2009『子どもたちの遺言』 佼成出版社 77~78才

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2011年4月23日 (土)

《茨木のり子の家》

美術館の地下のショップは中々楽しい。展覧会に行くたびにいつも立ち寄って、何か好いも

のないかと、きょろきょろ見回しながら、今度もいいもの見つけました。

土ものの陶器のあいだにさりげなく立てかけて陳列してあった本。

《茨木のり子の家》 平凡社 2010/11/25初版 

それは彼女がさいごまで住んでいた住処の写真集のようでした。

ところどころに詩も挿入されていて、魅力的に出来上がっていました。

手にとって、ぺらぺらめくって見るだけでは残念。お持ち帰りとなりました。

彼女の詩《倚りかからず》が中でも好きです。

もはや

できあいの思想に倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

ながく生きて 

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

何不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

この表紙の柄に目がいって、何の写真かと思ったら、書斎東向きの窓ガラス。

旭ガラス製の型ガラス「このは」だそうです。石かなとふと思ったのだけれど。

1958年東京保谷市の東伏見に彼女が設計に関わって建てた住宅で、この時代にはこん

な型ガラス使われていて、実にいい雰囲気を醸し出しているのです。

もしこの夫妻に子どもがいたら、この家はとっくに立て替えられていただろうと、

甥の宮崎治氏はあとがきで書いています。

この住宅そのものも彼女の作品になっているのでした。

茨木のり子(1926~2006)享年79歳。

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2010年11月22日 (月)

手作り市&みちくさ市@鬼子母神

たまにはひとりで邪魔されずに行ってみたかったのです。

いつもは地味で人通りも少ない商店街と神社がこのときは人であふれているのを始めてみました。ある意味、町おこし事業になっています。

この町はもう何年もお墓参りで通っていました。9月に行った時初めてこの市があるのを知ったのです。

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今日古本市があるというので、ゆっくりあちこち見ながら歩きました。

古本屋の店主が、自分の本箱から持ってきましたというような、若い娘さんが多いのに驚きました。

もう子どもが読まなくなったからと絵本を出しています。

そんな中から、一冊の本を見つけました。

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『きつねと私の12か月』 原作 リュック・ジャケ 絵 フレデリック・マンソ

絵のなかに布の一部をコラージュしたような構成が気に入りました。

1967フランス生まれのイラストレーターの作品でした。

佐野洋子追悼コーナーというのもあって、文庫本を含め人気の『シズコさん』や『役立たない日々』がでていました。

最新の今までのエッセイを集めた『問題があります』を求めました。なんと新刊で400円。

ひとりで歩いても限界があります。きりがなく疲れました。