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心と体

2015年2月14日 (土)

冬の浴室は危険

浴槽から夫を救出してから2週間が経った。あっという間の2週間。もう2月も半分が過ぎてしまった。肺炎を起こしていて、まだ病院に入院中だけれど、なんとか快方に向かっている。
私の記憶が消えないうちに、この事実を書き留めて置く気になった。夫は82才、妻は77才。身長171センチ、体重55キロ 妻151センチ。若い時は156あったのにいつの間にかちじんでしまった。腰痛でリハビリ中。

浴槽での事故は身近にもあり、数年前にはお隣の80歳ぐらいの奥さんが浴室で。
大学の先輩も浴室で最後の姿を発見されたと連絡があったばかり。2つとも発見が2時とか3時。みな手遅れだった。

我が家の浴室は1階にあり、私の部屋とは玄関を挟んでいる。メインの部屋は2階にあり、夫はいつものように2階から降りてきて9時半ごろお風呂に入りに来た音がしていた。普段より音がいつまでもするし、そろそろ出るころだから、次に入ろうと思い浴室に行ってもう出る?と声をかけて浴室を開けると、そこには異様な状況の夫がいる。
風呂のお湯は硫黄泉のように茶褐色化していて寒いからもっと熱くしてとわめいている。

どうしたの!早く出なさいといっても、足に力が入らなくて立ちあがれない。しかもいまはだめ、もっと熱くして!寒いからとわめいている。きっと浴槽に入るなり気分が悪くなって、もどしてしまったらしい。これは大変,水栓を抜いてお湯を減らそうとすると、すごく怒り出すし、もっと熱くしろと大声をあげる。
これは強硬手段にでないと大変なことになるとおもい、私はすぐズボンを脱いで引っ張り出す準備をし、床にすのこを敷き(御影石の床のままだった)、椅子をセットしシャワーを暖かくして夫を引き上げ、なんとか椅子に座らせてシャワーで温め、汚物を洗い流し、大判のバスタオルを戸棚から引っ張りだし、体を包んで、なんとか脱衣室に移動できた。

幸い夫は意識はあったし、自力で下着をつけてとにかくはやく寝室まで行きたい気持があり、手すりにつかまって私のサポートで17段の階段をのぼり、寝室のベッドまで行くことが出来た。部屋に入るなり、暖房つけてといい、パジャマ着せてと要求する。よっぽど寒気がしていたのだろう。なんとかベッドに落ち着かせ、吐いたのだから脱水症状になっているかもしれないと、すぐ水を吸い口代わりに小さな紅茶ポットから飲ませ、嫌がるのを無理して2口ぐらい飲んだろうか。熱を測ったら36.5℃。これなら今夜はここで安静に寝かせようと決心した。

救急車を呼ぶ気になれなかった。最近インフルエンザで救急車を呼んで、30分位道路で待機されて、かなり遠くの病院に連れていかれたという友人の話を聞いたばかりだったし。

私のベッドは3階にあり別寝していたが、すぐ自分の掛布団を夫の隣のベッドに運び、一晩中見張っていた。時々吐き気が起きるとビニール袋を添えてのみ込まないよう体を起こして吐かせた。

無事夜が明けて熱を測ると38,2℃に上がっていた。このまま寝かせておくわけにはいかない。インフルかもしれないしと思い、土曜日開院していた私の通っているクリニックに電話して事情を説明すると、すぐ連れてくるようにと言われる。もちろん徒歩はむり。何とか1階のガレージまで歩いて貰って、車の後ろ席に載せ、5分もかからずクリニックに到着。

すぐ診察してもらうとインフルエンザではなく、レントゲンを撮るとドクターの顔に緊張がみえ、肺炎と診断される。すぐ近くの総合病院へ救急外来で受け付けて貰うよう依頼され、職員さんのサポートで車いすに乗せられて、300メートル先の病院へ急いだのだった。

そこは夫が糖尿病の検査で通っていて主治医もいる病院であった。

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2011年10月 9日 (日)

ロコモティブシンドローム

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秋になって、やっと外出し易くなって、あちこちの展覧会の情報が耳に入るようになった。

今年の銅版画出品のイベントもあとひとつを残して終わる。

10月30日から生涯学習講座の恒例の版画展が神田神保町の文房堂で始まるのが最後

で、今年の発表会は終了。

みんな石ころとおしゃべりしながら、作ったものになった。

もう石ころはいいよね、と心ない人たちは言うのだけれど、むしろこれから。

もっとおしゃべりしながら、石ころの居場所を見つけていこうと思っている。

そこは水の中だったり、草むらだったり、空の雲になったり、もっともっと、いい場所を見つ

けてみようと思っている。創作のエネルギーは消えていない。

10日まで、鎌倉の近代美術館で大好きな版画家、二見彰一展をやっている。

いつもなら飛んで行くところなのに、つい躊躇する。足が痛くなるからと。

銀座や京橋の画廊でも見たい作家の個展が始まっている。

富山の発電所美術館や、金沢21世紀美術館にもまだ行っていない。秋に行ってみたい所

でもある。やっぱり足って大事。歩けなくなったら、からだの機能が衰えて、寝たきりになる

可能性が、高くなる。これをロコモティブシンドロームというのだそうだ。

運動は好きだった。バスケットやテニスを若い頃はどんどんしていた。いまでも自転車で

あちこち行くのは簡単に出来る。それだからひざが故障してしまったのかしら。

筋力をつけて何処にでもいけるように、リハビリするのが当面の目標となった。

それにしても版画工房の地下への19段の階段はちょっときつい。

これもロコモ現象の1つ。この階段がネックになって、行かれなくなったらどうしよう。

そのまえにイケメン先生にお願いしようか。荷物もって!と。何でも楽しい方向に解決した

方がいいのだとか。

2011年6月 2日 (木)

駅の階段

お祭りのあとは、版画工房に2晩続けて通って見ました。

新作のプリントをさらに色を変えながら刷ってみるために。工房は活気があって、混んでい

て、だから落ち付いて刷る事ができないという逆効果があるのは、しょうがないか。

工房には車で行く事が多いのだけれど、本当は車はご遠慮くださいという注意があるのは

知っています。バスは乗り換え含め、1時間。

電車も乗り換え含め1時間位掛かるのです。

2日目は往きはバス、帰りは電車(バス時間は終了した)を利用したのです。

バスは乗り降りが楽だし、徒歩も平坦な道だから大きい荷物を持って出かけるときは便

利。電車利用で何がネックかというと、階段です。東急線はほとんどの駅がエレベーター、

エスカレータが完備され、乗換駅の旗の台も乗車駅の上野毛も10年通う間に本当に良

くなって、足腰痛む時など本当に有難い設備です。節電志向のこの頃でさえ、動いていま

すから。3時間刷り続けると、疲労困憊してきます。車で帰る日は、運転するエネルギーを

少し残しておかねば、事故ったら大変ですから。2日目は、車で行くのは止めました。

長いこと工事していた上野毛駅が完成して環八側から直接改札口が出来ていたのを

初めて知りました。自転車置き場も駅舎の上に完備されています。

それは良かったのですが、なんとその改札口から入るとホームに行くのに階段しかありま

せん。意味ないじゃん。その日の荷物はキャリヤーと作品の入った大きなケース。

シルバーパスを使用できる70代になると、こんな事ばかり気になるのでした。

0530 

2011年3月25日 (金)

歩き続ける

本当は版画工房がはじまって、腐蝕済みの作品を刷りに行く予定にしていたが、やはり中止

となって、今週はすっかり予定が狂ってしまった。なんといっても工房頼みの制作スタンスだ

から思うままにはいかない。

あとはあるとしたら4月の2週目だから、なんだか間に合わない気がする。

予定していた展覧会用の出品には。

それは未曾有の大震災と原発の事故の所為なのだけれど、

私だけではない、全ての予定が狂ったのは。

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3・11何処にいたかで、その後の生き方が変わっていくのがよくわかる。

何事もなかったように、版画制作に打ち込んでいる人も居る。

アーティストとして生きるなら当然の事。

あの地震の揺れに会わなくても、見えない事象が確実に迫ってきて、いつのまにか取り巻

かれているのに、気づいたとしても。

それは放射能が降りかかった野菜だったり、水だったり、光をうばう停電だったり。

4時間歩き続けて家路に向っている時の町は、煌々と電気は点いていて、建物も何一つ

壊れていない。居酒屋には飲み食いする人があふれ、ただ電車が動かないことと、ケイタ

イが繋がらないことが違うだけ。家族との連絡が途絶えたこと。

黙々と歩き続ける人の列が道路幅いっぱい続いていて、車も道路を埋め尽くすように

繋がっているけれど、少ししか動いていかない。人の歩みより少なく。

怒鳴る人も、泣き叫ぶ人もいない。ただ歩いている人だけ。

歩ける道があるだけ良かったのだろう。亀裂もなく、噴出しもなく。

歩き続ければ家まで帰れることだけ分っていたから。

2週間経って、私の中で何かが変わっていくのが分る。

私なりに被災したのだ。歩き続けて内臓のすべてが活動開始。

お腹が空いてたまらない。