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2012年3月

2012年3月23日 (金)

一列に並べてみたら

0322_2               春の海という名前ではどうでしょう?         360x300

寝食忘れて版画作りに没頭してみました。その結果がこれです。なんて言ってみたかった

けれど、食事の時間だけ無視しただけです。この頃の寒さったら、版画作りにはまったく、

具合は良くなく、新しく塩化第二鉄の腐食液を入れ替え、邪魔ものは受け付けないよう

きれいな液にしたのにもかかわらず、予定どうりにはいきません。

なかなか腐蝕が進まないのです。

散らばっていた植木鉢の破片、今度は1列にならべて見たのです。何に見えますか。

山脈?  ヨット? それともペンギン?

今月最後の工房に行って、やっと刷って見ました。やはり海と空が少し弱かった。

腐蝕時間が足りなかったのか、きれいなグラデーションが出ていません。

これからどうすればいいか、また寝食忘れて考える時間を迎えます。

楽しいいっときです。

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2012年3月19日 (月)

衣食住、欠乏感はどれ? その2

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食生活には文句は言わない。美味しいモノが好きだけれど、わざわざ行列までして食べようとは思わない。遠くまで電車に乗って、食べに行かなくてもいい。

子供の頃は草や芋のつる、とうもろこしのパン、ふすまで作ったおやき。麦めし、鰯の煮付け、鯖の味噌煮、大根の味噌汁、芋入りごはん。皆懐かしい食べ物ばかり。それしかなかったから、それで育った。小学生の頃だからそんなものしかなかった。特別美味しいとは思わなかったけれど、それらしか知らないまま、大きくなれたのでした。

不思議とこれが私の食生活の基礎なんですね。でも、でも、この食生活には戻れない。食よりそれを取り巻いていた貧しい時代を思い出したくないのです。

仕事に集中しているとき、食べることは面倒です。食べる前に、作ることに、気を散らしたくないから。空腹を満たすには美味しいピーナッツがあればいい。時々甘納豆。

なんで今更仕事に集中しているの?と不審に思う人がいるかもしれない。昨年沢山版画を制作したのです。家のガレージ工房で。腐蝕を始めると気をゆるせないのです。食事時間なんてスルーです。定年になって終日家にいる家族の食事を作っているけれど、こういう時は、お断りです。勝手に食べてねと。人間なんだからと。犬は勝手に食べられないから、世話するけれど、それもドッグフードのみ。大した手間ではない。

時々毎日の食事の支度にくたびれてくると、犬のように出来合いのフードで済ましたいと思うときあります。サプリメントだけでもいい。カップ麺や野菜ジュースやジャンクフード。でも私の食生活には縁がない。育ちが雑草と麦飯、自然食しか浮かばないのです。せいぜい卵かけご飯。しかし糖尿病持ちの夫はご飯は控えめがよくて、高コレステロールの妻は卵は控えめでなければだめ。思うようにはいかないお年頃になっていたのでした。

版画家の池田満寿夫がアメリカ時代の生活を書いた「私自身のアメリカ」講談社文庫の中で当時のアメリカ人ワイフ莉蘭のことを書いていた文を覚えています。凄く印象に残っていたので、古い文庫本を開いてみました。

リランにかぎらず仕事をしている女性たちは、自分の食べ物にはかように無関心であるのが当り前であった。実際リランの女友達で、料理ずきの女性がほとんど一人もいなかったのは、いかに類は友を呼ぶとしても、私には不公平なサンプルであった。私だって仕事をしている人間である。その私が料理をするのは、なにも女房を喜ばせようとか、彼女の女友達の評判をよくしようとかいう目的ではない。普通の材料を手をかけることによって、少しでもうまくして食べようとする、人間として最低の努力を惜しまないからである。それと、私にはなんの趣味もなかったから、料理は手頃な気分転換になった。

池田満寿夫38才ごろの記述です。

高齢ぐらしは毎日のお料理が仕事で、版画を作ったりするのが大いなる日常からの気分転換というわけです。

2012年3月12日 (月)

衣・食・住のうち欠乏感はどれ?その1

おかげさまで一生懸命働いてきた人生、衣食住どれも不満足なものはありません。でもなぜ今こんなことを考えているのか。

小さな頃は住まいに関しては文句のつけようはありませんでした。庭には木蓮や椿や栗の木や、ヒマラヤ杉があり、裏庭には筍さえ生えてきましたから、おままごとの材料には事欠きませんでした。戦火で燃えることもなく結婚して家を出るまで住むことが出来たし。学校友達の誰よりも大きくていい家だったと、友達の家に遊びに行って感じたものでした。間取りとか部屋数は兄弟が多くて不満ではあったけれど、家の風格には満足で、そこで育った誇りが身についた気がします。

衣・・・自我に目覚める頃、オシャレ心が疼くとき、それが中学、いわゆるteen age。13・14・15才。戦後の復興がまだまだの時。渋谷のA学院に入学して、差別感とか格差感を味わったのでした。

制服のない学校だったから何を着て行っても良かったし、自由でした。物のない時代でしたから、母が古い洋服を解いてウールの紺のサージで上着を作ってくれたのが通学着でした。残念なことに古い服を継ぎ接ぎして作ったものだから、継ぎしたところが丁度お祈りの時間腕を組んだところにしっかりと出てくるのです。私はそれが隣りの子に見られるのが恥ずかしくて、すごく気を揉んだのを覚えています。特に日曜礼拝の時が一番いやだったのでした。

カバンは今ではお洒落な類に入るのだけれど、父が蒐集していたフランスの古布で母の手作り。そのトートーバックのようなカバンを、隣に座っていたアホボン(渋谷の眼鏡屋の息子)から“乞食袋って言われたよ”って家に帰って親に言ったら(私は結構気に入っていたのです)親は乞食袋と言われたのでは可哀想と思ったのか、次の日渋谷の鞄屋でチェックの布製の学生鞄を買ってきてくれたのでした。この中学は男女共学なのに家庭科の時間に力を入れていて3年生になって襞スカートや浴衣など教わって何でも縫えるようになっていましたから、高校では家庭科は選択せず過ごしました。

高校は都立高校に入ったので、着るものに関してはもの凄く気楽でした。制服が決まっていないのに、男子は詰襟、女子はセーラー服を着ていて、私は制服は高いから、母の手製か、自分で作ったものを来て行きました。黄色のコージュロイのジャンパーとか赤紺のチェックのシャツとか。その頃ディオールが流行し始め、そんなスタイルのコートを来ていた友人もいましたけれど、羨ましい感じはありませんでした。通学カバンも自分でデニムの端切れで作ったり。

そんなわけで衣に関してはいつも欲求不満な青春時代を送ったのでした。

以前読んだ森瑤子(1940-1993)の対談集の中で、同じようなことを言っているので驚いた記憶があります。一番おしゃれをしたいとき、いつも欲求不満だったのが衣だったこと。だから着ることに目がないと。1980年代に活躍し、駆け抜けていった作家の言葉でした。

2012年3月 7日 (水)

セミナリヨ版画展の図録が届く

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初めて応募した南島原市のセミナリヨ版画展、無事入選して、図録が届きました。

6500点も応募があった版画展のわりには、入賞者だけをコンパクトにまとめた薄いパンフレ

ット状のものでした。賞状もありなんと島原名産の手延素麺が2包入っておりました。

一般公募を今年初めて全国に広げた記念すべき11回目の版画展だったのです。

審査委員長の中林忠良氏の言葉によると、一般公募を初めての全国展開にしては132点

(91名)も集まり、レベルも高く充分満足したということでした。

一般の部のセミナリヨ大賞はつくば市の若い女子大学院生、渡辺千尋賞はやはり武蔵野美

大の女子学生。若い力を充分出した大作です。版画家の登竜門としてこれから楽しみなビエ

ンナーレになるでしょう。仲間に入れて良かったです。

主催した南島原市にある『セビリアの聖母』は1597年、有家セミナりヨで制作された日本最古の銅版画で、明治2年マニラで発見されローマ法王により日本の宝として大浦天主堂に下賜されたとのこと。その銅版画を400年の時を経て復刻した1998年12月、ローマ法王ヨハネパウロ2世へ献上。長崎出身の版画家渡辺千尋氏(1944-2009)がビュラン技法で復刻し、それを記念して渡辺千尋賞を設けている。

それにしても小学生の作品が5721点も集まり入賞25点、入選558点になって、小さな図

録で見るだけでも、そのエネルギーには圧倒されます。しかもその背後には熱心に指導され

出展させた先生方の力にも。

島原手延素麺を眺めながら、新しい力が伝わって来るような、楽しい版画展となりました。

2012年3月 4日 (日)

白雪姫のお妃の最期は

白雪姫の絵本を再読してみたら、なんとあの鏡よ鏡よ・・・と叫んでいたお妃の最期がいろ

いろあることが分かりました。1時期グリム童話の残酷性についてかなり話題になってい

時があったのを覚えています。ご多分にもれず,この白雪姫もとっても残酷な物語です。

継母だったお妃は自分の美しさをいつも鏡に向かって確認していて、継子の白雪姫の方

がもっと美しいと言われると、簡単に家来に命じて森の奥で殺してくるように命じたりしま

す。この継母はグリムの原書では,はじめは実の母だったそうです。それではあまりに

母のイメージを悪くするというので、2稿で変えたという説さえあるのです。Photo

そういえば、私が小さかった頃、初めてこの童話を読んで継母の悪口を言っていましたら、母がとっても嫌な顔をしたのを覚えています。私の実母は一方で継母の立場でもあったのでした。晩婚(29才)であった母は1児付きの父と結婚していたのです。だからいじわるな継母の物語は嫌いだったのでしょう。自分はいい継母だと思っていたから。

白雪姫の数々の絵本では、やっぱり継母の最後の場面が数種類あるのが分かりました。

グリムの原書に従って、白雪姫の結婚式に招かれたお妃は真っ赤に焼けた靴をはいて、

死ぬまで踊り続けたというのが多いのは普通でしょう。それだけで充分残酷な結末です。

【いわさきちひろ絵、立原えりか文】 【山本容子絵 高津美保子文】

【バーナデッド絵、ささきたづこ訳】 【東逸子絵 中村浩三訳】

【宇野亜喜良絵、種村季弘訳】  がみなこの結末でした。

【ジョセフィン・プール絵 アンジェラ・パレット文、島式子訳】

はお妃が持ってきた薔薇の毒を飲んで死ぬ

【ペリンダ・タウンス刺繍絵 ジョーン・エイキン再話】Photo_4

自分の美しさが一番だと言ってくれない鏡を割って

その破片が胸に刺さって死んでしまう、という結末。

美しいアプリケと刺繍で絵を創ったペリンダ・タウンス

の絵本はさすがに独特な結末にしています。

こんなに色々違うと、若い子供達にどれを一番

薦めようかと迷います。

グリム童話に忠実で、絵も美しい東逸子の白雪姫が

いいかもしれない。この春1年生になる孫のはるかには字も大きく読みやすい

この本をプレゼントしようか。何でも保育園で沢山読んでいるから、ディズニーのを、

もう見たことがあって、“もう読んだ、知ってる”と返されてしまうかもしれない。Photo_2

では絵も1番きれいで、夢があるバーナットのがいいかもしれない。小人もかわいいし。

クレヨン画の色の豊富な絵は森の中の様子や小人たちも無理なく楽しく描かれています。

               ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の一番好きなものは宇野亜喜良絵と種村季弘訳の【白雪姫】。

色を青で抑えて、美しさは抜群です。大人の絵本です。

2012年3月 2日 (金)

白雪姫と<7人のこびと>のこと

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<世界でいちばん愛される絵本たち>という本を図書館で借りてきて読んでいたら、人気作

家30人のインタビュー集があり、そのうちの一人イギリス人作家アンジェラ・バレット(1955

 ロンドン在住)のインタビュー記事の中にとっても興味深い部分を見つけました。

彼女の作品に白雪姫があります。白雪姫と言えば、ディズニーによる映画が余りにも有

名なので、それが一番困ったという。あのかわいい小人のウィリーが出てくるという

イメージを持っている人がとても多いから。

白雪姫に出てくる小人はノームという1種の妖精を描いていることが多いのだそうで、アン

ジェラさんもノームを絵にしたそうです。小人は胴は普通の人と一緒で、顔が大きく足が短

いというプロポーションだそうです。大抵のイラストレーターは漫画的なノームの姿に置き

換えて描いたりしているとか。読者も本当の小人の姿を見たくないのかもしれなから。

そこで彼女は出来るだけ小人に近く、ロマンティックに描いたそうです。白雪姫を助けて育

てた小人たちに、きちんとした人格を与えたいという気持ちが働いたのだとか。

B

            アンジェラ・バレットの小人たち

私が愛犬の名前を白雪姫(通称ユキ)と決めてから、白雪姫の絵本を集め出したのです。

その中に彼女の絵本もあって、さすがにヨーロッパの作者らしく格調高く品のある美しい絵

が気に入っておりました。たしかに小人たちは大人っぽくて他の絵本とは違っていました。

やっと、その理由がわかったのです。

ちなみにほかの白雪姫を見てみました。小人の解釈はみな違っているようです。           D

           宇野亜喜良

C_2           

           山本容子

A

           岩崎ちひろ

F

           ナンシー・エコームバーカート

E

           バーナデッド・ワッツ

ひとつひとつの絵にしていく時、彼女はそこに自分の思想を表現している。絵の中に描かれている全てに、“そこに存在する理由”を持たせている。

とても気にかかる考え方です。版画を作るときにも、絵の中に描かれるすべてに存在する

理由をつけてみようと思ったのでした。

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