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逝ってしまった夫

夫が逝ってしまった。そんなに急がなくてもよかったのに。

5月の19日。ここ1年ぐらい確かに老衰化していた。足が痛くて歩けない。目がよく見えない。数年前に手術した白内障の

結果があまりよくなかったようで、医者には通っていた。糖尿や腎臓の検査は荏原病院に通って検査していた。糖尿がよくなって

来たとホッとしていたのに、腎臓がかなり弱っていたらしい。

その日は私がリハビリでクリニックに朝出かけたのだ。今日は調子が良くないと言っていたので私は行かなくてもいいと言ったけれど行って来いよというので1時間ほど留守にした。帰宅したらベットで倒れていて息をしていない。10時35分、すぐ119へ電話して、真紀にも知らせ、 運ばれて、心臓マッサージを続けたけれど、1時10分息を引き取った。

死因は腎不全。コロナなのでCTR検査もしてマイナスだったので、無事葬儀は出来たのだった。桐ケ谷斎場で。

家族葬にせずお世話になった人たち、よくしてくれた友人たちに送られて、6月20日に雑司が谷のお墓に納骨。両親と一緒に永遠の眠りについたのだった。

 

2021年1月24日 (日)

大雪の予報だったのに

昨日の夕方から雪の予報があったので、せっかくキャンセル待ちしていた市民アトリエの順番をキャンセルしてしまった。しかも寒さもきつかったし。次の日も雪は降らなかった。朝起きてみる外の風景は冷たい雨でぬれていた。以前はどんなことがあっても準備して出かけて行ったのに。

美容院に行ってカットしてもらおうかと思っていても、この寒さでは動けない。不要不急の次元になってしまう。

それでいいのだと思う。無理して動いて朝から腰が痛いと言ってきた友人。同い年なのに何を急いで動くのか。

カーテンの見本がいっぱいあるので、キルティングの大家にプレゼントしようかと連絡したら、もう何かを作る仕事は止めたのという。

立派な本を出版したし、もう要らないという。ただマスクだけは作っているというから、あればちょうだいと言って見る。

バーバリとFENDIのロゴ付きのマスクをすぐ送ってきてくれた。ありがたい友人たち。

年上の友達が転んで骨折したと電話をかけてくる妹、南緒子。気をつけなくてはね。一人暮らしだから何でも気を付けてねという。ちょっと話がしたかったの。と言って電話を切った。

88才のじいさま。転んでも、お風呂で立てなくなっても困る。買い物行って、食事の支度して、食べさせて、洗い物をする。みんな私一人でやっている。誰にも頼んでいない。頼む人もいない。

医い気候になったら、やはり横浜美術館に行って版画を刷ってこようと思う。八雲展に出品するために。元気がでるし。

 

 

2021年1月18日 (月)

版画用の腐食液の整理

コロナのせいで今年の展覧会が開催されるかどうか。みんな不安がっている。前年は八雲展、葵展、春陽展すべて中止となってしまった。

八雲展が5月に開催すると通知があって、とりあえず参加の返事をした。

すみの会も今年は開催年。1年前の予約ということで6月末に開催予定。これにも参加と返事をしてある。作品はとりあえず用意してある。

tだ残念なことに横浜美術館の市民のアトリエが2月末で終了。その後2年間設備の工事で休館となってしまう。制作の場も発表の場もみな閉店。これから制作する場所を新たに探すのも億劫である。家での腐蝕作業も、そんなわけで終了せねばと先日最後の腐食液を全部新聞紙に含ませて、捨ててしまうことにした。寒さ厳しく、ガレージでの作業も、老体にはきつく感じて、決心したのである。

80代というのはやはり無理は効かないのである。

夫が肺炎で荏原病院に入院していたのは7年前の今頃だった。春陽展用の作品を制作中で、看病の傍ら、寒さの中で腐食していたのを思い出す。

やる気があって、まだ70代だった。早く帰って版画を作れと病床で夫に気合を入れられていたのを思い出す。

今年は新型コロナウィールスの所為で、すっかり順序が狂ってしまった。外出してウィールスに感染したら、高齢者は1発でダウン。そうなりたくないから、家でじっとしている生活。好きな作家の絵本を見ている。ときどき近くの古本屋タバネルに行ったりして。

2021年1月16日 (土)

ライフワークが宮沢賢治画本・・・小林敏也

宮沢賢治の本を近くの古本屋タバネルで見つけた。

小さな本だけれど繊細な絵の描写に引き付けられて、思わず手に取って買ったのだった。

『賢治宇宙』 繊細なシルクスクリーンのカットがエッチングで苦労している私の心にやわらかくつき刺さってきた。

古本屋でなければ見い出せなかった本。ゑは1947生の小林敏也。

そういえば賢治の絵本は数冊持っている。絵に惹かれてそろえてきたような。しっかり彼の文を読んだ記憶がないのに。どうして絵本が増えたのだろう。

風の又三郎もセロ弾きのゴーシュも内容は記憶にない。しっかり刻まれているのは、雨にも負けず、風ニモマケズのみ。彼の文と絵を合わせながら、読む時間を作ろうと思う。佐藤国男の木版画が生きている。買っておいて良かった。

 

2021年1月 4日 (月)

2021お正月

コロナの感染が気になっている。それは誰でも同じこと。だから初めて家族で集まらないお正月を選択した。

子供達とは夫の88才の誕生日に集まって会っている。新年はそれぞれの家族で過ごしたらいい。家族を持って50数年、初めて夫婦二人の新年だった。正月料理の準備も二人だけでいい。大晦日遅くまでTVも見ずに準備に追われずに済む。こんな穏やかな年は今までになかった気がした。

労力をかけず頭を使って、疲労せずに新年を迎えられた。

例えば、お雑煮のだしを取るのに、今までは築地まで行って利尻昆布を買ってきた。花ガツオのいいものを探して用意して、お雑煮のおだしを作っていた。余った昆布はいつまでも残っていた。こんな無駄な努力はもういい。今年は「割烹屋のだし」を使ってみた。これでいい。あっという間に出来上がった。最近はそこそこいい商品が出ている。これを利用すればいい。

おせち料理も手作りは、れんこんのおなますのみ。これは夫の好物。レンコンの茹で加減を気をつけて、合わせ酢は、「かんたん酢」を使った。甘味もそこそこで美味しく出来た。かんたん酢が美味しいということはご近所の若い主婦に教わった。

元日には息子が一人で顔を出してくれた。一番いいコーヒーカップ(エルメス)にコーヒーをいれて出す。

時間差で娘が手作りのおなます(これがなかなかいい味)など持ってくる。彼女からは立派なスペインレストランのおせちが届けられて、それのチェックもしたかったのだろう。、年寄り二人分には十分すぎる量だったので半分ぐらいお持ち帰り。

静かで手を掛けづに済んだいいお正月だった、手づくりを美徳のようにおしつけられて、主婦の労働を強いられていた年末から新年。

コロナのおかげで外出もままならなかったから、良しとしよう。

2020年12月31日 (木)

終に大晦日

終に大みそか12月31日になった。コロナ騒動ですっかり足止めなった2020年。年寄りは罹ったら1発だというニュースにおびえて見事に外出の少ない1年だった。銀座のギャラリーには3月頃から行っていない。会いたい作家やオーナーさんもいたのだけれど、行かなかった。88才の夫がいるから常に気を遣っていたし。

今年のおせち料理は真に簡単。手作りはこれから作る酢ばすのみ。メインは娘から今日届く。スペイン料理のセット。早めに予約して取ってくれたらしい。蒲鉾、伊達巻、昆布巻き、黒豆、きんとんは日本橋の神茂から昨日届いた。山口の義弟から同じメニューのかまぼこが届いた。雑煮用のお餅は雪谷の八百屋で買った。お米も。量が少ないのでショッピングカートに入れて持ち帰った。

準備が順調に進んでいるのを確認していたら、なんとお屠蘇用のお酒が抜けている。夫はお酒を飲まないので関心がないせいで、ついおろそかになった。食後買いにいくことにして9時まで開いている近所のスーパーに行ったら8時に閉まっているではないか。残念!!このまま引き返そうと思ったけれど、寒い夜せっかく出かけてきたので、近くのセブンイレブンまで足を延ばした。酒、みりん、水。すべてあった。屠蘇散は昨年買ったものが使える。お正月は子供たちは来ないようお願いしたので、夫婦のみ。それでもお屠蘇はきちんとセットしておきたい。

正月飾りも洗足池近くの新しく出来たTEAROOMでお気に入りを見つけて買ってきた。玄関に飾って落ち着いた。仏花も、床の間の花も活けた。

足腰の痛みは家のジャグジーバスで毎晩ほぐしているので落ち着いている。あとは足の筋肉がすっかり弱体化している爺様がお風呂事故の起きないよう見張っている。つい先日も浴槽から出られなくなって悪戦苦闘したと嘆くこと!その晩に限って、私は疲れもあって、早く寝室に行ってしまったのだった。翌朝の報告。

 

2020年12月14日 (月)

雑務が片付く

毎年の仕事、お歳暮を贈った。最近は山口のかまぼこではなく東京のもの、神茂のかまぼこに切り替えたら、評判がいい。山口のかまぼこは地方の産物。お江戸の方が評判がいいのがおかしい。親戚や主人の知人、いつもお世話になっている人たち数人。以前伊達巻を主人がわざわざ日本橋まで買いに行っていたのが気になって取り寄せるようになった。混んだ電車に乗って買い物に行くのはもう勘弁して。買い物好きの夫だからいきたかったのかもしれないのだけれど、、、。

きょう年賀状も書き終わった。年賀状はもうやめている人が多いらしいけれど、私は好きだから書ききった。版画仲間、高崎の短大関係、高校、女子大の友達、犬友、70人に整理して。今回は夫との連名、年賀状ドットコムで印刷した。

後はお掃除。要らない本を少し整理して捨てようと思っている。

おせち料理は真紀に頼んだ。黒豆もきんとんももう作らない。丹波の黒豆を時間をかけて煮たものを、平世夫人のきんとんと

交換していた時期もあったが、平世夫人ももういない。コロナウィールスもまだ撤退していない。静かに出歩かず、新年を迎えようと思っている。

隣町のクリニックへ通って腰の痛みをマッサージしている。効果は少しづつ出ているみたい。歩くのが苦にならなくなった。家の浴室のバスがジェットバスだったのに気が付いて、腰をマッサージ。この効果もよさそう。いろいろ試して老化と仲良くしていかねば。

 

 

 

 

 

 

 

2020年11月27日 (金)

お正月までにしなければいけないことは何?

まず年賀状を用意する。毎年夫の分と両方で200枚ぐらい用意するのだけれど、今年はどうしようか。もう二人とも80代なのだから年賀状は止めてもいいのだけれど。やっぱり150枚ほど作ってしまった。年賀状ドットコムで。そして出来上がってきた。

次はお歳暮。これも毎年していたので、去年頼んだ神茂から住所の記録してある申込書が届いている。兄妹や子供達の親戚。夫の部下。毎年送ってくるのだもの。お返しも兼ねて。

そして食堂のカーペットの交換。もう10年近く敷いたままで汚れもあるので、雪谷大塚のカーペット屋さんで新しいのに代えることにした。近くの店がいい。あと3日ほどすると届くので古いものを外した。しっかり床に裏地がこびりついて、それを取るのに往生した。古いものを持って破棄するよう頼んだら3000円もするという。夫は珍しくそれでも良いというのだけれど、多分自分は手伝えないから,剥がして苦労していくつかに切って、ビニール袋に入れて燃えるゴミで捨てることにした。カーペット屋がそうしろというのだもの。80過ぎのばあさまにはどれもきつい仕事になった。

あとはバラの苗の手入れ。土を入れ替えるもの。剪定して姿を整えるもの。いろいろある。10鉢ほどまだ育てておきたい。これも腰をかがめての作業。きつい。

おせち料理はもう作るのは止めようと思う。黒豆も煮ない。真紀に頼んでいいものを用意して貰う。

それより腰が痛むのをなんとかしなければと、新しい整形の医者に行き、電気のベッドのマッサージを受けてみた。これはよく効くきがする。しばらく通ってみようかな。

 

 

2020年11月18日 (水)

あれからずーっと調子が悪かったけれど・・・

爺さまの誕生日祝いが7日の土曜日。子供たちがみんなでやってきて祝ってくれたのはいいのだけれど、私の疲労は120%。

あれからずーっと調子が悪かったのですよ。胸が痛い。背中が痛い。腰が痛い。痛いの連発。咳が出る。熱はいつも計っていたけれど平熱。36度台を超えることはなかった。だからコロナではなかろうと安心はしていたけれど。夜も眠れない日が多くて。

ただ有難いことに、日に日に体は楽になって来ている。眠れるようになってきた。風邪状態だったのかもしれない。

こんな時にケータイの調子が悪くなり、繋がらなくなっていた。充電してあるはずなのだけれど。一駅バスに乗ってケータイ会社に行ったりして11時からのを忘れてしばらく待って、見て貰ったら何のことはない。長押しすれば回復するスイッチがあったのだった。機械に弱くなっている自分。なさけないなぁ。昼ご飯を買って長い坂道を下って帰宅。それでまた足が痛くなったり。

”新型コロナ 第3波に警戒、感染急拡大  気をつけようね。

2020年11月 8日 (日)

夫は米寿

11月9日が誕生日。88才で米寿の記念日。

見えない、聞こえない、歩けないと、ここの所毎日愚痴を繰りかえす日常なのだけれど、この年齢になればむしろ普通の現象かもしれない。どんなお祝いをしようかと考えていたけれど、銀座のレストランに行く体力もなさそうだし、家が一番というので、子供たちに来てもらうことにした。

息子から話があって家で作って持っていくから何も用意しなくていいよ。と言ってきた。娘も得意の料理を作ってくるらしい。腎臓が悪くなって塩分控えめ、カリュウム少なめでなければならない。厄介な誕生日になりそう。

息子は鯛めしを炊いて、土鍋ごと持参。塩分少なめの野菜の煮物はお嫁さんの作。娘はローストビーフを焼いてきた。いい味付けで柔らかく美味しかった。ご飯ものがないかもしれないと、私は松茸を奮発して松茸ごはんとお吸い物を用意した。カナダの松茸なんと3本2450円(高!)

何も作らなくいいの言ったでしょ!と息子に叱られてしまったけれど。

孫はきれいな小さな花かごを抱えてきた。総勢7人。お正月みたい。テーブルの上を片付けたり、7人分の椅子をセットしたりで、準備をするのにほぼ1日中かかり、私は結構疲れてしまっていた。コロナ騒動で何が起きるかわからない。みんなマスクをして、取ったり外したり。

食事を済ませば長居せず早々に一気に帰って行った。でも夫は満足気に見送っていた。

みなが帰った後の後片付けは私一人の大仕事。1枚のお皿も片付けようとしない爺さま。たっぷりの食器を片付け終わって疲労困憊。翌日まで疲労は取れない。腰が痛くてたまらない。88歳までは持たないなぁ。

 

 

 

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